Good News
रुपरेखा: Short Bible stories from Genesis through the ascension. How to become a follower of Jesus. 40 sections. It has a picture book to go along with the recording.
भाषा परिवार: 395
भाषा: Japanese
विषय: Multiple themes
दर्शक: General
तरीका: Monolog
ढंग: Bible Stories & Teac
दर्शकों का स्तर: Simple
लक्ष्य: Evangelism
बाइबिल का प्रमाण: Extensive
स्थिति: Publishable
भाषा का पाठ
こんにちはみなさん。皆さん聴いて頂きたい良い知らせがあります。どうぞ近くに来て、このグッドニュースを聴いて下さい。この絵本を見ながら、注意深く聴いて下さい。また、それぞれの絵の最初に、聖書の引用箇所を申し上げます。いいですか?この音が聞こえたら、次の絵を見てください。
絵の1
「はじめに」創世記1章1節から4節。詩篇90篇2節。 時のはじめには神様しか居ませんでした。
その他は真っ暗でした。神様は正しくて全てのものを 治めておられました。この最初の絵に見えるように、神様がこの世界を創って、そして光が輝くようにと、命令されました。神様が、昼間は太陽が支配するように創り、夜は月が支配するようにされました。
絵の2
「神様のみ言葉」イザヤ書45章18節から19節、ヘブル人への手紙4章12節
この絵に描いてある本が、聖書と呼ばれているものです。これは、神様の言葉です。そしてわたくしたちに、神様のことと、神様の道を教えてくれます。神様は全ての人を愛しています。わたしたちは神様から引き離されてしまったのです。でも聖書は、神様と和解できる唯一の方法を明らかにしています。これらのお話は全て、聖書からのものです。
絵の3
「創造」創世記1章1節から25節
神様は全てのものを神様の言葉で創られました。神様は全てのものを正しく創られました。神様が土地や山、海や川を形作られました。それから神様が全ての生き物、水の中にいる魚たちや空を飛ぶ鳥たちや、全ての動物たちを創られました。神様が創ったすべてのものが良かったので、神様は満足されました。
絵の4
「アダムとエバ」創世記1章26節から31節、2章7節から3章24節
そして最初の男の人と最初の女の人を創られました。神様は彼らをアダムとエバと呼びました。神様はアダムとエバに、神様が創ったすべてのものを支配する権限をお与えになりました。アダムとエバは神様の友達で、彼らが住んでいた園では、神様とお話をしました。神様はアダムとエバに一つの果物をのぞいて、その他全ての果物を食べてよいという許可を与えられました。左の絵の中に、神様に逆らって、神様が禁止した果物を食べているアダムとエバが見えますね。アダムとエバは罪を犯して、神様との友好関係を壊してしまいました。右の絵の中に、神様がどのようにアダムとエバに罰を与え、園の外に出しているのが見えますね。その時から全ての人々は大変な思いをして食べ物を手に入れ、食べないといけなくなりました。彼らは痛みを感じ、病気や死も経験しなければならなくなりました。
絵の5
「カインとアベル」創世記4章1節から16節、ローマ人への手紙3章23節
アダムとエバにはカインとアベルと言う2人の息子がいました。カインはアベルにやきもちを焼いて、ある日アベルを殺してしまいました。神様はアダムとエバに罰を与えたように、カインにも彼の罪のための罰をお与えになりました。私達はアダムとエバの子孫で、私たちも皆罪人です。罪が神様から私達を隔てます。私達が自分たちの罪のために罰を受けることは、当然の報いです。
絵の6
「ノアの箱舟」創世記6章1節から22節、Ⅱペテロ3章9節
多くの歳月が流れ、多くのアダムの子孫ができました。これらの人々はまた、罪を犯し、神様に従いませんでした。人々の罪は非常に大きかったので、神様は大洪水によって、彼らを滅ぼそうとされました。ここに一人だけ、神様を愛し従う者がいました。彼の名前はノアと言いました。神様はノアに大きな箱舟を作るように、おおせられました。神様は、ノアと彼の家族をその箱舟に乗せ、救うつもりでした。ノアは箱舟を作っている間、ずっと何年間も、神様の正義を説きました。人々はノアの警告を信じませんでした。彼らは洪水から救われるために、悪の道から離れようとはしませんでした。
絵の7
「大洪水」創世記7章1節から24節
神様がノアに告げたので、彼は各種の動物と鳥を、その箱舟に乗せました。ノアとその妻、3人の息子たちとその妻たちも、その箱舟に乗りました。そして神様は扉を閉めました。神様は激しい雨と地の底からの水を送って、地上に洪水を起こしました。すでに他の人々が救われるには遅すぎました。ノアと彼の家族は箱舟の中に留まり安全でしたが、外にいた全ての者たちは、おぼれ死んでしまいました。ノアは神様を信じ彼に従ったので、救われました。
絵の8
「アブラハム、サラ、イサク」創世記9章18節から19節、12章1節から7節、17章1節から8節、18章1節から15節、21章1節から7節
多くの歳月が過ぎ、ノアの子孫は多くの部族になりました。アブラハムは神様を愛し従う人でした。神様はアブラハムに、彼の子孫たちが偉大な人々になることを約束しました。アブラハムとその妻サラには子供がいませんでしたが、彼らは神様の約束を信じました。この絵は彼らが非常に年老いた時、息子を授かったことを示しています。そして彼らはその息子をイサクと呼びました。アブラハムとイサクは、この世を救うために来られた方、イエス・キリストの先祖になりました。
絵の9
「モーゼと神様の律法」創世記15章1節から25節、34章27節から34節
アブラハムの先祖たちは「イスラエル」と呼ばれる偉大な民になりました。モーゼはアブラハムの子孫で、彼らも神様を信じ従いました。ある日神様がモーゼを山に呼び、神様の律法を人々に教えるように告げました。この絵は、モーゼが山から石に書かれた神様の律法を、持って降りてきたところです。神様は全ての人に、モーゼの律法に従うように望まれました。
絵の10
「十戒」出エジプト記20章1節から17節
ここに神様がモーゼに与えた律法があります。それらは私達に真実で唯一の神様を愛し、従えと教えます。最初に、絵の左上に、私達は動物やその他の偶像を拝んではならないと教えられています。私達は創造主である真実で唯一の神様を拝まなければなりません。お父さん、お母さん、子供達は共に神様を拝んでいます。全ての人々は、一週間の内一日を、神様を拝むために取っておくべきです。子供達は両親を敬い、従わなければなりません。神様の律法は、殺してはならないと言っています。私達は、他人の妻を取ってはなりません。私達は盗んではいけません。また、他の人の物を欲しがってはなりません。神様は私達に、この律法に従うように命令されています。
絵の11
「罪のためのいけにえ」レビ記4章27節から28節、32節から35節、ヨハネの福音書1章29節
当時人々が罪をおかしたとき、人は神様に子羊をいけにえとしてささげなけらばなりませんでした。子羊は罪を犯した人に代わって死にました。子羊は神様の御子イエス・キリストの象徴でした。イエスさまはこの世の全ての人々のために、神様へのいけにえとして死ぬために、来られようとされていました。彼はこの世の罪を取り除く神様の子羊です。イエスさまは十字架の上で死ぬことによって、私達の罪のいけにえになられました。イエス・キリストを信じ、罪を告白し罪を悔い改めれば、神様はあなたをも赦して下さいます。
絵の12
「約束された救い主」ルカの福音書1章26節から38節、マタイの福音書1章18節から25節
イエス・キリストがどうやってお生まれになったかを聞いて下さい。大昔神様は、救い主を送ることを約束されました。天国から御使いがやってきてマリヤと呼ばれる若い女のもとに来ました。マリヤは処女でした。そしてヨセフと婚約していました。御使いは「聖霊があなたの上に臨まれあなたは身ごもります。その子をイエス・神様の御子と名付けなさい。」と彼女に告げました。御使いはヨセフの夢の中にも現れました。御使いは「ヨセフ、恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。その子の名をイエスと付けなさい。」といいました。ヨセフは神様に従いました。そしてヨセフは子供が生まれるまでマリヤと床を一緒にしませんでした。
絵の13
「イエスの誕生」ルカの福音書2章1節から20節
ヨセフとマリヤはベツレヘムと言う町まで旅をして行かなければなりませんでした。2人がそこに着いた時宿は一杯で一部屋も開いていませんでした。大勢の人達が集まっていたので2人は馬小屋に泊まらなけらばなりませんでした。その馬小屋でマリヤはイエスさまを生んだのです。その夜近くの野原で羊の番をしていた男たちに天使が現れました。天使は「ベツレヘムで救い主がお生まれになった」と告げました。すると、天に大勢の天使が現れて歌いながら神様を褒めたたえました。男の人たちは救い主を見に出かけました。
絵の14
「教師イエス」 ルカの福音書2章39節から52節、マルコの福音書6章30節から34節
左の絵に12歳のイエスさまが見えます。イエスさまは神様の話をイスラエルの教師や指導者達たちとして、彼らの話に耳を傾けたり質問したりしています。かれらはイエスさまが多いなる知識を持っておられるのに驚きました。右側の絵は大人になったイエスさまが人々に神様のことを教えておられるところです。ある人々はその教えを信じ従いました。そして他の人々は信じずに彼に敵対しました。神様は私達が信じてイエスさまに従うようにと望んでおられます。
絵の15
「イエスさまの行った奇跡」マルコの福音書8章22節から26節、5章21節から24節、35節から43節6章45節から52節
この絵はイエスさまが奇跡を行うのに使われた偉大なる力を示しています。左の絵はイエスさまが目の見えない人にさわられて、彼が見えるようになった絵です。真ん中の絵は死んだ子の両親が見ている前で、イエスさまがこの子を起こし、生き返らせたところです。最後の絵はイエスさまが水の上を歩いている絵です。イエスさまは船で出かけた弟子たちの所へ行こうとされています。主イエスさまは神の子であることを人々に示すために、このように多くの奇蹟を行われました。イエスさまは御霊の力によって私達のことをも助けることがおできになります。
絵の16
「苦しみを受けられるイエスさま」マタイの福音書27章1節から2節、11節から14節、26節から31節
イエスさまは多くのすばらしいことをなさり、多くの人々が彼に従いました。イエスさまは親切で、病気の者を癒し、神様の道を教えられました。イエスさまは失われた人、罪人を救うために来られました。ですが心の曲がった者達は、イエスさまは彼らのことを罪人であるとおっしゃったのを嫌いました。人々の指導者たちはイエスさまを妬ましく思いました。彼らはイエスさまが神の子であるということを信じませんでした。彼らはイエスさまを捕えて、でっち上げをしたあげぐ、イエスさまを打ちたたきました。彼らはいばらの冠をイエスさまの頭にかぶせ、唾をはきかけ、からかいました。それなのに、イエスさまはそんな彼らに抵抗されませんでした。イエスさまは、このことが起こることをご存じだったのです。イエスさまは悪い者達がイエスさまを傷つけて殺すままにされました。イエスさまは全ての人の罪に対する裁きを取り除くために、神様へのいけにえとして死ぬために来られたのです。
絵の17
「イエスさま十字架に付けられる」マルコの福音書15章21節から39節、第Ⅰペテロ2章21節から24節
兵隊たちが木の十字架にイエスさまを釘でうちつけました。彼らはその十字架を掲げ上げ、イエスさまは息を引き取るまでそこに張り付けにされました。2人の犯罪人もイエスさまと同じように十字架に付けられました。その当時は犯罪人をこの様な残酷な方法で殺すことが習慣になっていました。でもイエスさまは何一つ間違ったことをされたことがありませんでした。イエスさまは全ての人々の罪の支払いとしての、いけにえとなられたのです。私達はすべて罪を犯したので、自分自身の罪のために死ぬべき者です。イエスさまは私達が受けるべき当然の懲らしめを代わって受けられました。もし私達が「自分は罪人であって本当にその罪から離れます」と告白するなら、神様は私達を赦すことがおできになります。主イエスキリストを信じるならあなたは救われます。
絵の18
「よみがえり」ルカの福音書23章50節から24章9節
イエスさまの敵どもは、「これでイエスさまをすっかり滅ぼした」と思ったのですが、実はそうではありませんでした。十字架の上でイエスさまが死なれた後、イエスさまの弟子たちは、遺体を洞窟に置きました。彼らは洞窟の入り口を大きな石でふさぎました。二日が過ぎて三日目にイエスさまは死からよみがえられました。数人の女たちが、この墓にやってきた時、石は転がされていてイエスさまはいなくなっていました。2人の天使がそこにいて、女達に、イエスさまは生きておられると告げました。「ここにはおられません。よみがえられたのです」と天使たちは言いました。死からよみがえられた時、イエスさまははっきりと、ご自分は神であると言うことを証明されました。イエスさまは今日も生きておられ、悪魔や死よりも強いお方です。
絵の19
「トマス信じる」ヨハネの福音書20章19節から31節
イエスさまが甦られた後、多くの弟子たちがイエスさまを見、イエスさまと話をし、一緒に食事をしました。弟子のひとりであったトマスは、イエスさまが生き返ったということをどうしても信じることができませんでした。トマスは「イエスさまの釘の後をこの目で見て触ってみるまでは決して信じない。」と言いました。ここにイエスさまがやってきてトマスに手の傷を見せている絵があります。トマスにはもう何一つ疑うことが無くなりました。彼はイエスさまの前にひれ伏してこう言ったのです。「わたしの主、わたしの神よ。」イエスさまはこうおっしゃいました。「わたしを見ないで信じる者は幸いです。」
絵の20
「昇天」使徒の働き1章1節から11節
死からよみがえられて後、40日の間、イエスさまは多くの人々に現れました。多くの人が、イエスさまが生きておられのを見ました。さあ今は、天のお父様の所に戻る時です。イエスさまはなすべき仕事を成し遂げられたのです。イエスさまは弟子たちに、この良い知らせ、グットニュースを全てのところの全ての人に伝えるように、と言われました。弟子たちはイエスさまが地上を去って天国に行かれる様を目撃しました。天使が現れて弟子たちに「イエスさまはいつかまた、今行かれたと同じ様で、もう一度天国からおいでになります。」と告げました。その時が来るまでイエスさまは天国にいらっしゃいます。イエスさまは信じて従う者達のために、場所を、天国に整えて下さっています。あなたはいかかですか?あなたも信じてイエスさまに従いますか?あなたはイエスさまにお会いする準備ができていますか?
絵の21
「空っぽの十字架」ヨハネの福音書19章38から42節、第Ⅰペテロ3章18節
なぜ、イエスさまは十字架の上でお亡くなりになったのでしょう。イエスさまは罪人を罪の罰から救うために死なれました。イエスさまは一度も罪を犯したことがありませんでしたが、私達を神様から引き離す罪を、取り除くために死んで下さいました。十字架は私達にイエスさまは罪のないお方であることを思い起こさせてくれます。イエスさまはわたしたちのために犠牲となられました。わたしたちがイエスさまを信じて悔い改める時、神様は私たちの罪を赦して下さいます。イエスさまは私達を神の子供として下さいます。次の絵はクリスチャンとはどういう意味なのかと言うことを理解するのに役立つと思います。
絵の22
「二つの道」エレミヤ書21章8節、マタイの福音書7章13節から14節
イエス様は二つの道があることを教えられました。全ての人は広い滅びに向かう罪の道を歩んでいます。私達は皆罪深い性質をアダムから受け継いでいます。イエス様は私たちは天国に続く狭い道を歩むべきだと言われました。もしあなたがこの世でイエス様を信じ、イエス様に従う生活を送るなら、そういう人は永遠の命をいただくことが出来ます。その人は広い道を歩んでいたのが、天国へと続く広い道へと歩みを変えたのです。狭い道を歩くものには罪の裁きはありません。もしイエス様に従う決心をされたら、神様と次のように話すことができます。「神様、私は罪深いものです。イエス様が十字架の上で私罪の支払いのために死なれたことを信じます。どうか許してください。そして私を清めて、神の家族の一員にして下さい。わたしはイエス様の道を歩みたいのです。そして死んだ後はあなたと一緒に天国で暮らしたいのです。神様ありがとうございます。」
絵の23
「神様のこども」ヨハネの福音書14章6節、3章16節、6章37節から40節
この絵を見るとイエス様は色々な違った人種や国や言語の人を招き入れられているのがわかります。彼らはみんなイエス様を信じるとき、神様の家族の一員です。彼らはみんな天国に続く狭い道にいます。神様の子供達は家族のようなもので、主イエス様によって一つです。
絵の24
「新生」ヨハネの福音書3章1節から18節、ローマ人への手紙8章9節から17節
ある夜、宗教の教師であるニコデモという人が、イエス様のところにやってきて神様のことをもっと学ぼうとしました。イエス様はニコデモに、「誰でも神様の家族の一員になりたいなら、新しいいのちが必要です。」といわれました。 私たちには自分たちを変える力がありません。私たちが信じてイエス様に従う時、神様の聖霊が新しいいのちを下さいます。私たちは新しい者に、神様に創り変えられた新しい者になります。
絵の25
「聖霊来たれり」使徒の働き2章1節から21節、37節から39節、ヨハネの福音書14章15節から27節
この人たちはイエス様の弟子たちです。イエス様は天国に帰られる前に、聖霊のプレゼントを送って下さると約束されました。イエス様が天国に帰られて、10日後に、弟子たちはみんな一つところに集まっていました。突然、イエス様の約束どおり、神様の聖霊がやってきて彼らを満たしました。弟子たちは、他の言葉で、神様がどんなに素晴らしいことをしてくださったのかを、人々に話すことができる力を頂きました。神様の御霊は、全ての本当に信じるものたちの中に住んでくださり、イエス様を愛し、従う力を与えて下さいます。
絵の26
「光の中を歩む」ヨハネの福音書3章19節から21節、8章12節、12章35節、36節、46節
人がイエス様を信じる前は、ちょうど、闇の中を歩いているようなものです。彼は躓き、しばしば罪の中に落ち込んでいきます。なぜなら、その人を導く光が無いからです。私たちが、主キリスト・イエスにあって、信じるようになると、それは晴れている日にまっすぐ歩く道を歩いているようなものです。イエス様はこうおっしゃいました「わたしは世の光です。わたしに従う者は闇の中を歩むことがありません。神様は神様の道の人生を歩むことを助け、教えるために、信じるもの全てに聖霊を送ってくださったのです。
絵の27
「新しい人」エペソ4章22節から26節、ガラテヤ5章16節から26節
キリスト・イエスにあって信じる者は、新しい人で、神の御言葉に従います。そういう人は、神様が罪を赦して下さったことを感謝します。信仰を持つ者は、姦淫を犯したり、争ったり、盗んだり、偶像礼拝をしたりして他の神や霊を拝んだりはしません。聖霊が信じるものに悪から離れ、良い行いをする力を下さいます。
絵の28
「クリスチャン家族」エペソ5章21から6章4節、第一ペテロ3章1から9節
この神様の道を歩んでいる家族を見てください。夫は妻を愛し、妻は夫を敬っています。これこそ神の言葉が命令していることなのです。彼らはお互いに助け合い、子供達が神様を愛し、御言葉に従うようにと教育します。クリスチャンファミリーは共に祈り、神様のために働かなければなりません。
絵の29
「あなたの敵を愛しなさい」マタイの福音書4章43節から44節、ルカの福音書10章25から37節、第一ヨハネ3章14から18節
イエス様は弟子たちに、全ての人を愛するように、敵さえも愛するようにと教えられました。わたし達は助けを必要としている人達に、手を差し伸べる必要があります。違う国の人たちもです。イエス様は他の町に旅していた人の話をされました。盗賊が彼を襲って、袋叩きにしてしまいました。そこを違う国の人が通りかかり、この大怪我をした旅人を見付けました。この人はけが人を手厚く看護しました。なぜなら怪我人は助けを必要としていたからです。彼は支払いを要求しませんでした。イエス様は「わたしたちもこのように良い行いをしなさい」と言われました。
絵の30
「イエスさまは大いなる力ある方」マタイの福音書6章24節、使徒の働き19章18から20節、詩篇115篇1節から8節、第一ヨハネ4章4節
この男の人たちは偶像やお守りを燃やしています。彼らはイエスさまに従うクリスチャンになる前は、これらの偶像を崇拝していました。しかしクリスチャンは悪魔やけがれた霊に属する全てのものからから解放されなければなりません。主は悪魔やけがれた霊、偶像、お守りなどよりも偉大なお方です。クリスチャンには悪魔に対する恐れを抱く必要はありません。私たちは神様のみに助けと守りを賜わなければなりません。
絵の31
「汚れた霊を追い出すこと」マルコの福音書5章1から20節、使徒の働き16章16から18節
これは汚れた霊で満たされている男の人の絵です。汚れた霊が非常に強かったので、縄や鎖では彼を抑えることはできませんでした。イエスさまは汚れた霊に男より立ち去るように命じ、汚れた霊は出て行きました。この男の人は癒されました。そして友達にイエスさまがしてくれたことを告げました。イエスさまには汚れた霊よりも良い優れた力があります。悪魔も汚れた霊も全て、イエスさまに従わなければなりません。
絵の32
「誘惑」マタイの福音書6章24節、第一コリント10章1から14節、第一テモテ6章3から12節
この絵はクリスチャンがイエスさまに従うことを止めさせるようにと、誘惑されていることを示しています。悪魔は私たちに神様のことを忘れさせ、いつもお金や服、たばこ、不道徳なこと、お酒のことばかり思っているようにさせたいのです。悪魔はこれら、それぞれのことは私たちを幸せにすると言っています。しかし悪魔は嘘つきです。そして私たちをだまし破滅させようとしています。クリスチャンはイエスさまに信頼し従う時、誘惑に反抗することができます。
絵の33
「私たちは罪を犯したら」ルカの福音書15章11から32節、第一ヨハネ1章7から9節
イエスさまはこんなお話をされました。ある若者が家出し、遠く離れたところでさんざん悪いことをしました。彼は姦通の罪を犯し、彼のお父さんから譲り受けた全てのお金を使い果たし、ひどい罪を犯してしまいました。彼は、お金をすっかり使い果たした後、大変な厳しい飢饉がやってきて、彼はとても貧乏になり、食べる物が無くなりました。彼は自分の罪をあやまり、ゆるしを乞うために、父の元に戻りました。彼の父は彼をとても愛しており、父は再び息子を受け入れました。この話は、私たちが罪を犯すならば、その罪を必ず悔い改めなければならないということを教えています。神様は私たちをとても愛しておられるので、私たちの罪を赦し、私たち一人一人をまた受け入れてくださいます。
絵の34
「病気」第二列王記20章5節、7節、第Ⅰペテロ5章6節から10節、ヤコブの手紙5章14から16節
この男の人と女の人は、自分たちの親戚が病気なので悲しんでいるように見えます。神様の民が病気になったら何ができるでしょうか。神に祈り、神様がして下さることは最善であると言うこと信じることができます。神の御心であるならば、神様は病人を癒されるか、あるいは病人を正しい薬を見付けるように助けてくださいます。神様は私たちを愛し、彼の子供達に起こる全てのことを支配しています。神様はクリスチャンを悪魔から守ってくださいますので、私たちは悪魔を恐れてはなりません。苦難の中で平安を私たちに与えてくださるために、イエスさまは私たちと主におられます。
絵の35
「死」第一テサロニケ4章13節、14節、5章9から11節、黙示録14章13節
私たちはある日、いつかは死ぬことを知っています。しかしその時、何が私たちに起こるのか。聖書はクリスチャンが死んだ時、彼の霊は主イエスキリストと共にいると言っています。あなたの友達は悲しみに打ちひしがれるべきではありません。神様は私たちを愛し、私たちを罪から救ったということ知っているので、私たちは死を恐れてはいません。イエスさまを信じない人は死ののちに来る、神と共にいるいのちの素晴らしい希望を持っていません。彼らは裁きの場に行くのです。あなたは死んだ後、どこへ行くのでしょうか?
絵の36
「キリストの体」エペソ4章4から16節、第Ⅰコリント12章12から27節
私たちの体のそれぞれの部分には、それぞれの働きがあります。目は見ること、耳は聞くこと、そして口はおしゃべりをしたり、食べたりといったことをしています。身体の全ての部分は一緒に働きます。もし体のある一部分が病気になったり、傷ついたりしたら、体全体が苦しみます。神様は、クリスチャンは教会と呼ばれる体の一部分だと言っています。イエスさまはその体の頭です。神様は全てのクリスチャンのために働きを与えておられます。身体全体を強くするようにおのおのが主イエスさまのために働かなければなりません。全てのクリスチャンはお互いに愛し合い、一緒に働かなければなりません。そうしないとキリストの体が苦しみます。
絵の37
「礼拝のために集まる」 ヘブル10章23から25、コロサイ3章15から17、第Ⅰコリント11章23から24節
全てのクリスチャンは一緒に神様を礼拝するために、定期的に集まらなければなりません。私たちは神様の御言葉、聖書を学び、賛美をし、そして祈るべきです。私たちはまた、神様の働きのために、礼拝に捧げものを持ってくるべきです。神様はまた、主イエスの死を憶えているようにと指示されています。クリスチャンは礼拝の場で、定期的にパンと杯を分け合うという儀式を行います。パンは私たちのために十字架に付けられたイエスさまの体を思い出させます。杯は私たちを、私たちの罪から救うために流されたイエスさまの血を思い出させます。
絵の38
「イエスさまは帰ってきます」ヨハネの福音書14章2から3節、第一テサロニケ4章13節から5章4節
ある日いつか、約束されたように、イエスさまは突然に天から帰ってきます。彼は全てのクリスチャンを連れに来ます。イエスさまは既に死んだ全ての神様の民を、死からよみがえらせます。彼らの墓は空になります。まだ生きている神様の民は、彼と一緒に行きます。私たちはみな主イエスと空で会い、永遠に彼と住みます。イエスさまを受け入れなかった者は、神様の裁きを受けるために地上に残ります。イエスさまがいつ帰ってくるかは、私たちにはわかりません。しかし私たちは、準備しておかなければなりません。主イエスが今日帰ってきたなら、あなたは彼に会うためにもう準備がしてありますか?
絵の39
「実がなる」マタイの福音書7章15から20節、ヨハネの福音書15章1から16節、ガラテヤ書5章22から23節
クリスチャンは、木には実がなると同じように、聖霊の実がなります。イエスさまは、「わたしはぶどうの木で、あなた方は枝です。人がわたしに留まり、わたしもその人の中に留まっているなら、そういう人は多くの実を結びます」と言われました。神様の聖霊は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制を生みだすように、私たちの人生の中に進み、働いています。木の枝が実を結ばなければ、それは取り除かれてしまいます。その枝は死に、燃やされてしまいます。イエスさまに従う者は、多くの実を結ぶべきです。これは、神様、私たちの天の父に栄光を帰するのです。
絵の40
「福音を分かち合うこと」マタイの福音書28章16から20節、マルコの福音書16章14から20節、使徒の働き1章8節
イエスさまは、人々が罪と地獄から救われることができるように、行って、他の人々に素晴らしいニュースを語るように、全てのクリスチャンに命じておられます。この絵は、クリスチャンがイエスさまの命令に従って、他の人々にイエスさまのことを語ることを示しています。神様の聖霊は、キリストの大胆な証し人とするように、私たちを助けてくださいます。あなたはこの絵本から習ったことを、他の人に語ることができるのです、